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誰にも書けない事

 文章を書いていて、常々物足りないことがあった。
内容が、ちょっと研鑽すれば誰でも書ける内容だからである。
省エネなんか、現場で何故なんだろうと疑問を持つ癖を付ければ、何れ回答が得られる範疇である。Delphi プログラムはプロから見れば片腹痛いだろう。4D相関図だって、3D図をちょっと拡張することに気付けば思いつく。
 要するに相対的範疇の記述である。
 実は筆者には、本当に書きたい、筆者しか書けないと思われる絶対的体験があったのである。勿論「そんな馬鹿なことは信じられない。俺なら絶対やらない」と言う意味で「誰も書かない」と言うケースも含んでであるが。

 blog では、技術的な内容で飛ばしているが、筆者の意識の中では、メタフィジカルな面、はっきり言えば霊的な面も全く矛盾無くシームレスに認識されている。
 技術屋マインドから言えば、オカルトの範疇だろうが、単純な実証主義におもねらない。次元が異なるんだから、この世の実証に掛からない方が当たり前だろう。霊界の有無(より高尚的には、それすらないと言う事であるが)などはこの世の次元で実証しようと言うのが、端から無理と言うことである。
両次元の統合的観点から見て、両者の動きがより合理的に説明出来れば、有るとすれば良い。It means that I keep my options open infinitely.【レッドオクトーバーを追え、Richard Jordan】
 「あの世が有るんなら実証してみろ」と言う言い方は、筆者には「俺には別の世の中を演繹する知能も(モチベーションも)無い。単純に(楽に)見たものしか認識できないんだから見せてくれ」と言っているようにしか思えない。
 とは言うものの、今のところ科学と宗教の統合(たまたまダン・ブラウン「天使と悪魔」を見て)などと言うこともありえないと思う。科学がその由って立つ基盤を逸脱してまで、歩み寄る必要は無い。
それぞれがそれぞれ純粋なスタンスを維持したまま真っ直ぐ進むことにより、例えば科学が高度な視点を入手した時、それぞれが合わせ鏡のように真実を記述するかもしれない。
 例えば、例は適当ではなくオカルトだが、「太陽は実は人が住めるほど低温なんだ。放射される波動が途中の空間で熱に変換されて、地球では熱く測定される」などという主張があるが、そんなもの口角泡を飛ばして論議しても (「太陽の赤道と極地の10日の自転スピードの違いはどう説明するんですか」と返せば黙るかも知れないが、現代科学もそれなりの考察で積み上がっているんだから、それに反して好き勝手何を言っても良いってもんじゃない) しょうがない。この世では太陽は6000Kと観測されるし、黒点はもう少し低温、この放射を受けて、半導体による太陽光発電もあるんだから、それを受け入れ享受すればよいのである。
 従って「全く矛盾無く」ではなく、矛盾を生じさせる対比がそもそも成り立たないと言うスタンスである。一方の次元の知見で、(もしかしたら高次の)他方を理解しようとする方がおかしい。そう考えると物事は非常にシンプルになる。
このスタンスでの、まさに「誰にも書けない」近年の行動に触れる。
 今までぼかした物言いしかしなかったが、このように書けたと言うことは、「書いてよし」と言う許可が出たと言うことである。
これを読んだら、技術アイテムで来てくれている人たちは一斉に引いてしまうだろうが、かまわない。

 物心付いてから、メタフィジカルな面にも興味を持つことが多かった。
神仏と言うものがあるとすれば、我々の心の一部を含む集合意識だと言う想いも有った。太陽をじっと見つめる時もあったし、戯れに精神統一で物体を移動させようとしたこともあった。
 幼少の頃悪事を働こうとすると、「お前がそれをやると、必ずこの様な罰が下るぞ」という極めて明瞭で確固たる意思が伝達され、それでもあえて実行すると、それは必ず実現した。あまりの確かさと、学習能力もあるから、1,2度で止めたが。
 予見と実現の一致よりは、予見伝達そのものの身近さに慄いたものである。目にこそ見えないが直ぐ後からの直接指導である。その距離感は、成長に伴い、雑多な思考に取巻かれ、ピュアーな精神が失われていくようになると、次第に広がっていった。
ノートの面に「神と対話できる数少ない存在」と書いて(自然に湧いてきた認識だったんだが)、友達に見せて怪訝な顔をされたこともある。
 また同様な動機で、「人は肉を食べなくても生きられる」ことを示そうと、暫くの間食餌から肉片を取り除いたりしたこともある。栄養士の賄さんには詫びを入れつつ。

 数々の齟齬の結果、天空を縦横飛翔するようにしてしまったミサイル群を仰ぎ見て「ああ、われら過てり」と、自らが蒸発するまでの僅かな猶予の期間、頭髪逆立つ恐怖と、断腸の悔悟と、血の悲涙にくれるビジョンと言うよりは古い記憶を思い出すに至っては、これはもう押すに押されぬパラノイアである。

 そして忘れられないのは「アセンション」と言う本を読んだことである。
「都市にはより一層カルマが渦巻いている。世の終りに、神の使いが○つのラッパを鳴らし、最後に○色の馬が現れるとき、都市は最もその影響を受けるだろう。都会の人々は恐れおののき山に隠れようとする。しかし私ならそうはしない。この体をカルマの真っ只中に留め、この身を神の御業のその光の媒体に供すだろう」幾つラッパが鳴ろうが、どんな色の動物が出没しようが知ったことじゃなく、記憶も定かでないが、もっと格調高いセンテンスで、この身を都会に留め神業に供すると謳い上げているのは強く心に響いていた。
「そういう時になったら俺もそうしよう」、これはある意味自分のメンタル的原風景となっていた。

 また20代の一時期、某教団に入って、暁の祈りや、呼吸の訓練をしたことがあった。自分としては本物の宗教はここだという確信があったが、その後仕事多忙かつ脂が乗ってきて面白くなり、1年程で疎遠になってしまった。
「戻れ」と独身寮までわざわざ翻意を促しに来てくれた同志もいたが、「仕事が多忙で」と断った。別れ際のもの寂しそうな表情を覚えていて、20年後に会ったら、この人はその後宗教上大変な経験をしたらしい。もしかしてこちらも分担すべき何らかの役割があったのを、一人で背負ったのかも知れないが、そうだとすると申し訳ないことであった。
 俗事に係わりながらも、何度か戻りたいなと言う希求が生じたが果たせず、そして20年近く技術廻りの何でも屋として、フィジカルまたは正反対の分野の仕事に邁進することになる。
 エネルギー現場運転管理MITI担労組専従九州離島電気保守である。

 1990年代になって、狭隘事業所事業継続→新設建替工事の担当となり、常識的にはスクラップアンドビルドしかありえない中で、その選択の許されない困難な工事計画と格闘していたが、景観問題で計画は2年足踏みすることになり、景観へのソリューション対応で、フィジビリティスタディだけはスクラップアンドビルドを何度か繰り返して収斂させながら1995年に入った。
 1995年は冒頭に阪神・淡路大震災が勃発し、テレビ報道でこれは大変な事態になったと思ったが、さらにサリン事件が発生し、世は騒然としてきた。これはただ事ではないと思い始めるのと平行して強烈な憂波動に付き纏われるようになた。
これは説明しにくいが、一言で言うと「情けない」(自己懺悔の情けないではなく、他者に虐げられて情けない、自らの運命を呪った情け無い。要するに憤怒でない自殺者が最後に感じるであろうような思いに近い)と言う、人の恨みと悲哀のこもった想いが一気に掛かって来るような感じである。憂と鬱がないまぜになったような気分で押し寄せ、包み込んでくる。
何をしていても、眩い陽光に包まれていても気分が晴れることが無い。気を引き立てようと努力しても精神的には地の底を這いずり回るだけ。
 最初は、工事計画がクリチカルすぎてこれに没入する余り、鬱の気に襲われたかと思った。実際に工事計画の相方は何度もその様な状況に陥り、上司の命を受けて、個人情報だと言う足かせが有る中、病院に状況を聞きに行かされたりもしたが、それとも違うようだ。
 何もヤル気が無いのではない。工事計画などは、問題が出てきてもやがて解決できる。ただひたすら嫌な波に包まれるだけである。
自分から発したのではない。他から受けている。

 世紀末と言われる今の時節に関係しているんじゃないか。
「私ならカルマ渦巻き激変を免れない都市の真っ只中に留まり、この身を神の御業のその光の媒体に供すだろう」というかつて何度か読んだセンテンスが浮かび上がってきて離れない。
そして居ても立っても居られず、やがて毎日、仕事が終わるや否や首都圏各線の駅に直行し、雑踏の中で小一時間昔取った杵柄の称名をしながら立ちづくした。かつてCICGダイアモンドヘッドの中でやった事もあるが、真剣さは桁違い。
 
 通常ならとてもこの様な行動には繋がらないんだろうが、その波動のプレッシャーたるや通常の域を遥かに逸し、まさに自分自身のメンタルは「世紀末」以外の何物でもなかった。
あの時点で何時もと違う波動を感じなかった霊能者が居るとすれば、大した者じゃないんじゃないかと思われてならない。あるいは余程強力なガーディアンが付いているか。
 一時期、黒装束編み笠袈裟懸けの人たちが同じ様に駅や街角の雑踏に立って、あるいはお布施を集めていたが、こちらはそんな気楽な精神状態ではない。通勤服の普段着だが必死の形相で祈る。
 休日は時間が許すと、首都圏だけではなく、何故か新大阪、東名バスで浜松あたり、信州の松本あたりまで出張ったこともある。
 引き揚げは9時をまわる。事故多発の交差点などは近づけば判る。いかにも欲望の想念淀む繁華街。物悲しい区画。
夜遅くまでやればやるほど余計鬱が悪化するような気もするが、止められない。
 この間食べ物は殆どソバ位で、駅の盛り場の焼肉の匂いで気分が悪くなったりもした。今でもターミナル駅でその匂いを嗅ぐと当時を思い出す。
 しかしこの時、鶯谷駅の南口「天下御免蕎麦」を発見しているから、食い意地だけは喪失して無かったようだ。

 首都圏の祈り足跡が100箇所ぐらいになった9月16日(土)。何故か足は房総御宿に向かう。砂丘に立って大海原に向かい必死に祈り、月の砂漠記念館の見物もそこそこに帰りの電車に乗ると、大原駅辺りで、大型の台風が近づいているとのニュース。
その翌日翌々日は風雨のため休み。さて再開しようとするとまるで(または文字通り)つき物が落ちた様な脱落感。出ようとする気が起こらない。それでも行動にはイナーシャーがあるから、2日ほど最寄の駅でスケジュールを消化したが、その後プッツリと途絶えてしまった。

 実行するのが精一杯でこの一連の行動は何の意味があるのか深く考えなかったが、その後、ニュースで聞いた大型台風と関連があることが判った。
この超大型台風12号は、伊勢湾・室戸台風に比肩する大きさで、関東地域に上陸寸前だったのである。
 各級防災組織は相当の被害を覚悟して待機していたそうである。これが上陸すれば、神戸震災・サリンに次ぐその年3つ目の大惨事になるはずであった。

Tp12

 その到来の霊的意味を感知していた向きもあるようだし。一堂に会していた別のある訓練されたグループは、一気にその能力を発揮し見る見るうちに台風進路を変化せしめたと言う。
 お判りだろうが「進路が変わるのは不思議でもなんでもない。偏西風か高気圧の配置のせいだ」と言うのは的外れである。それが何故そうなったかの話だから。
 筆者の孤立・緩慢の奮闘も、店じまいの時の心の動きとタイミングの一致から、これに対応したものだと確信しているし、無名の同様な人々の同種の活躍があったであろうことが強く想起されてならない。
 この事態が終わっても、しかし鬱波動はTPOにより益々強くなる。これだけやったのだから、また入れてもらえるだろうと、昔通った教団の門を再び潜った。殆ど20年ぶりだが、懐かしいやら有り難いやらで、滂沱の涙。遅れを取り戻そうと言うのではなかったが、鬱波動を祓い清められるならと、精進カリキュラムを積極的に消化しようと努力した。
 
 例えば教団では、年に一度ピラミッドの中で数時間瞑想する行がある。これを申し込んで前々日、暁の祈りを始めるととたんに腹痛と下痢と嘔吐に見舞われた。その後ずっと上から下から吐き出しながら2日間過ごしたが、これはピラミッドの行が終わるまで続き、帰りのマイクロバスでようやくかみさんが作ってくれた笑ってしまうほど小さい直径1インチ程の具無しおにぎりを、時間を置いて2個消化することが出来た。
余程業が溜まっていたと思われる。

 一方仕事の方は着実に進み、合理化案どしどし実現して既設関連工事費は75%の実績、勿論無事故無災害で周辺設備建設切り替え、既設周辺設備撤去、更地にして新設設備建設部隊に引き渡した。
その後このまま新設建設を続けようとも思ったが、それまでの強権などもあったかも知れないが「一息ついてくれ」、本社に栄転らしいとのこと「新しい血で進めてもらうのも良かろう」とそれ以上の根回し活動はしなかった。
 転勤の辞令があり、送別会に数十名集まってくれた。「よく空を見つめていたが、本社では普通にやってくれ」と言う暖かいはなむけの言葉も頂戴した。
「本社事業部は15年前に経験している。部の初代OA委員もやったし、通産の廊下とんびもやった。今行っても面白い仕事は無いんじゃないか、悪い予感がする。」と挨拶したが、事実その通りになってしまった。
 広告会社とPR館のコンセプト作りや、現地工事費の管理をやったりするが、前から、コンセプトを考えるなどと言うものは、真贋の見えない人を誘い込もうとするだけの虚業だと思っているし、工事費も自分の知恵を絞って下げるわけではない。現場主義で飛び歩いた身にはとても間が持たない。関連部署が多数、何度も集まっては閑々諤々、時間だけが過ぎる毎日。
鬱波動も益々強くなりこそすれ、解消されない。世紀末が喧伝される今、他にやるべきもっと重要なことがある気がしてきた。3年前に一つの形もやって見せた。
 鬱々と楽しまない日々を送りながら、状況の変化を祈念していたら、唐突に組織改革で早期退職優遇制度が出て来た。50歳で最も退職金の上積みが多い。80日の準備休暇ももらえる。
「そうか、条件が整った」確信に変る。新制度に一番で乗ってやるのも30年お世話になった会社への最後の奉公。
 家族には、「この2年間だけで良い、好きなことをやらせてくれ。小さい時からこの時のために生きて来たという確信があるんだ。後はまた真面目に仕事するから」と言うセリフで不祥不祥首肯させ、手続きしたら、「だからおれは大幅上積みはだめだと言っていたんだ、自信のあるやつから辞める事になる」と労務担当の先輩。また部筆頭課の課長 (更新計画時の本社側担当) はリップサービスか「おれの後釜に考えていたのに」と言ったがもう遅い。

 翌日から単身、首都圏世紀末無事越年祈願の行脚が始まった。
基本的には前回と同様だが、それに印を伝授されている。
 また、釈尊がその前世でおこなったという行に似た、道行く人に「貴方は神なんです」と想念する行もあった。これは2年間で延べ200万人となった。東京・横浜の7人に1人の上に意識を止めたことになる。
 今ノドンが飛んで来ても怖くない。首都圏には結界が結ばれている。The understanding of God is not our understanding.God is our refuges and strength.【天地創造、ジョージ・C・スコット】
 足は電車とバスと地下鉄で街頭・公園・墓地所かまわず祈り、印を組んでいく。気付いた人は奇異の目線を呉れるが、知ったことじゃない。何を見ているんだろうと虚空を見上げる視線をたどる人も居る。
 それに無収入だし、肉体要素の希薄化にも好都合だと、食事も一日1000カロリーに落とす。これを2年間続けた。当然禁酒禁煙。久々に会った後輩が痩せて顔色も悪いと心配してくれた。その時の渋谷でのビール一杯が殆ど1年ぶり。

 第3者は呆れるだろうが、本人には「今の行動が間違っていない」と確信させる出来事が次から次へと出てくる。
 例えば池袋で、都全体を見下ろせる、ゆっくりと祈れる場所を見つけた。印を組んでいるとやがて頭上をヘリコプターがやたら飛び回りだしてちょっと尋常ではないので、かみさんに携帯したら、例の池袋のサンシャイン通りの殺傷事件勃発の瞬間であった。
また、古川橋の近くで祈ったら翌日に首都高速の車両爆発事故が発生するようなこともあった。
要するに事故や災難の至近の場所、時点で祈っているのである。
 中目黒の地下鉄事故後の現場は当然祈ったが、事故前にも確か何度か近くに出没している。
 日本だけではない、外国の大使館も祈りの対象となる。
あるとき、「韓国大統領が来日との事だがあの中に居られるんだろうか」などと思いつつ麻布台の坂を下りたが、その日の午後に曙橋をバスで通過中、ちょうど反対から来たバスに急に乗り換えたくなり、それで女子医大の前まで来ると大変な人だかり。降りてみると大統領夫人が隣の学校を視察訪問とのことで、ごく近くでご尊顔を拝することもあった。この時は流石に大きく印を組むチャンスは無く、静かに韓国の平和を祈っただけである。どこにSPが居るか判らないから。
 この様に、当時は「ああ、これもそうなのか」と思い当たる事柄が一杯あったように記憶しているが、今具体的には一々思い出せない。

 20世紀最後の年、いよいよクライマックスが近づくのが判る。
年が変って教団のピラミッド神事が改めて申し込めることになったが、当初はあまりその気がしなかった。
数ヶ月経ってようやく申し込み、前回のような下痢も嘔吐も起こらず無事終了して帰り際、尊顔を拝した理事長さんに挨拶したら、「今日は」とにこやかに返されたが、翌日唐突に「日時を合せて、全員一斉に祈り印を組むこと。これを年一杯続けよ」と言う神示が会員一斉に通達される。「昨日は理事長さんも余裕の表情だったよ」と思うが、こんな指示形態は初めてである。ピラミッド神事を受けたくなったタイミングがくっきりと際立つ。
 日時とは、7日、14日、21日、28日の、7時、14時、21時からそれぞれ1時間である。待ってましたとばかり、早朝出来るだけ都心近くと言うわけで、7時には日比谷公園などに滑り込み祈るスケジュールを始めた。
 晴れの早朝の日比谷公園は気持ちよい。四方に向かって印を組む。何度も霞ヶ関に向かって組みながら、「これをやって役所は大丈夫なんだろうな」と思っていたら、その後急激な勢いで、汚職・辱職の露見・告発が続いて、さも有りなんと思った。
この辺、誰か2000年前後の露見件数の比較をしてみてくれないだろうか。この上ないエビデンスになるんだが。

 祈りは、東京・横浜の中心部全域で、地図を見比べながら殆どじゅうたん爆撃のように祈りの足跡を残した。祈る場所は直感に頼るところも多かったが、意識的にも効果的と思われるところを選んだ。特に墓地、刑場跡地などであり、また歌舞伎町界隈は、かつて逆の立場で馴染になったところでもあり、頻度は少なくなかった。
東京タワーの下にあるような小さな祠も拝んだし、幾つか有る富士塚にも昇って印を組んだ。
 神田の古本屋も一軒一軒覘いた。東京女子マラソンの日には水道橋のガード下で戦列と遭遇したが、これの出来る我が身が無性に有り難く、うれし涙にくれながら御茶ノ水の方に坂を昇った。
 数万人の同士が、今同様に祈り、印を組んでいると思うと、自然身も入り、気も強くなる。
鈴が森刑場も幾度か祈ったが、慰霊碑の前に座り込み、危ないかなとも思いつつ「貴方達の思いは、俺が受けてやる」と念じて、印を組んだ。
南千住の回向院、伝馬町なども同じであるが、これは人には勧められない。
また、本郷の麟祥院では、慰霊碑に向かって印を組み終えてふと後ろを向くと、一瞬何百人のギャラリーに囲まれているようでびっくりした。
  
 途中で霊視能力が開きかけた時もあった。繊細さが最高潮に維持されている段階で、秋葉原の電気屋の階段で事のほか憂波動が強くなり、立ち止まったら、踊り場の壁からスターゲート状に残ばら髪を振り乱した、「情けなや」という恨み想念一杯の水死体と思しき顔が現れた。
何か想起するより早く「危ないっ」と言う意識が先行し、下腹に力が入り強力な意思でゲートを閉じてしまった。これ以降2度とその様な状況は発生しない。ちょっと残念な気もするが、多分耐力不足なんだろう。

 個人的思いばかりでエビデンスが無いので、誰でも調べられる事を一つ紹介するが、差し支えが大きいので、来訪が多くなるとこの段落は削除することになる。
 一連の工程の中の7月25日、皇室では香淳皇后の斂葬の儀が行われた。ところが海外からの弔問臨席も多い中、皇太子妃のご出席が無いのである。下世話で言えば、祖母の葬儀に跡取りの孫の嫁が出席しないのである。それも海外からの弔問も多い名家である。
これは余程体調が悪いんだろう放って置けないと、有って無きが如しの予定を変更して四谷から赤坂、青山1丁目の角を廻って、脂汗とへっぴり腰で祈りながらグルっと一回りした。光が降りてくるのを念じながら。
すると7月31日には、岐阜での高体開会式にご出席になるとの事で、観衆ににこやかに手を振っておられる。
 このような1週間での変貌を、何方か合理的に説明できる人が居たらお願いいたしたい。

 やがてK2問題も含め、大過なく世紀が変わり、家人との約束どおり新しい仕事に付いた。
欝波動も消えていた。
 しかし、人の行動にはイナーシャーがある。また「更にニューヨークで祈りたい」と言う痛烈な思いがあった。これは時既に遅くなったが、「宗教はこれっきり」と約束したものを、ばれないだろうとこっそり参加していたら見つかってしまって、娘が泣きながらかみさんの実家に駆け込むに至って、やむを得ず縁が切れた。今は心の中だけで、称名をするとすれば「天之御中主大神」「至誠聖天老祖」である。
 欝波動は消えたが、刑場での約束も有ってか、固有の業か知らないが、疾病を得て耐えている。しかし肉体の苦痛などは、あの精神的苦悩に比べればまだましである。
 途中で会った霊能の開けた人に「今守護霊さんが七転八倒で苦しんでいる」と言われたことがある。時節柄、集まっている全員に対する一般論かと思っていたが、昨今、あれはもしかして「貴方の」が抜けたか聞き取れず、更に10年後の現在の姿を霊視して「守護霊さんの七転八倒」と言う指摘になったのかも知れない、とも思う。
と言うのは霊能の有る人の話を聞くが、どうもこちらの想念または背後を感受して話しているように思える事が多かった。回答や内容が全てこちらの思っている通りなのである。数値なども一致し、質問しても、確信にはなったが改めて教えてもらえることは余り無かった。
 しかし霊視に関しては、こちらに無いことで、大変参考になった。
ある時車で移動中、運転者が唐突に方向感覚を失い「あれっ、あれっ」と言いながら、空き地に車を乗り入れ方向転換しようとしている。「これはこの地の霊が、4人の光で清めてくれと呼び寄せたものなんだ」と言うようなことがよくあった。
彼は、秋葉原の水死体のようなのの出没は日常茶飯事だと言うことで、それはそれで大変な毎日だと同情する。

 また一連のイベントが終わって落ち着いてからだが、思いもよらない褒美を頂くこともあった。
常々かみさんが実家の90歳になるおばあちゃんの近くに引っ越して身の回りを見てやりたいという希望が有り、一度横浜行脚の途中で、市バス終点の車庫で乗り換える時、素晴らしいマンションの築山やキャナルの工事中なのを見て「好条件だ、こんなところに住みたいな」と思ったが、当時はそれ所ではなくそれっきり忘れていた。一戸建ても買ったばかりで、ローンもかなり残っていた。
 どういう経緯か忘れたが、不動産屋の紹介があり、実家の近くに良い物件がある。抽選に当たった途端に転勤で、住むことなく中古として売り出しているというのである。
場所はかつて仕事の関係で、土壌調査関係の調べものをしていたらインターネットで引っかかって覚えていた、もと自動車教習所の跡地である。
 見に行くと何と、かつて「住みたいな」と思ったマンション群の1室である。「ははーぁ、そう来ますか」である。人智の度し難さを思い知る。住みたいと思ったが、その可能性さえ思いよらなかったからである。
更に、眺めが良いと売り出し時のパンフのMM21の写真をとった代表的な眺望の部屋だと言う。
 更に、ローンの借り換えになるがこちらは新しい仕事を見つけたばかり、大銀行は勤続不足で借りられないと言う。「何を言っているんだ、社会人になってこの方お宅一筋、億の取引実績があるじゃないか」と言っても、ルールは曲がらない。
不動産屋さんの紹介で別の都市銀行にお願いしたら、1%強の低利で貸してくれると言う。計算したら今までの返済の月額2/3。
 更に、無収入期には当人の食費を切り詰める経験も積んでいる♪。返済枠も増やして5年程で瞬くうちに完済してしまった。
 今かみさんは頻繁に、相鉄で一駅はなれた実家に徒歩でもいそいそと通っている。

 「神よ、我を使いたまえ」と取り返し念じている。今精神的には、次のお呼びが掛かるのかどうかじっと待っている状況である。何時でも投げ出す心構えは出来ている。
2012年というキーワードが喧しいが、どうなるか判らない。唐突に指示が来たりするからである。上の方でも状況を見ていて、必要な対応をどんどん仕掛けてくるように思える。
しかし、今かみさんが鍋料理の肉を「満腹だ」と断ってもどんどん盛り付けて呉れるから、暫くは肉体波動を希薄化する事態にはならないようだ。

 この様に筆者の意識の中では、フィジカルとメタフィジカルは共存している。実証する必要は無い。のべつ無く起こる体験から、実際にあることだと確信してみせる必要さえ無い日常茶飯事だから。
 実証してみせるつもりはないが、もし上からの確たる指示があれば、エジソンが最後に手掛けようとした霊界通話装置でも、永久機関でも何でも果敢に実現させようと取り組むだろうとの気持ちは強いものが有る。

 技術系の貴方、これを信じられるだろうか。

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