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my favorite Ⅶ

 「誇り高き日本人」と言う、岩倉使節団の本を読んだ。
幕末・維新を生き抜いたつわものどもの人格や胆力やしがらみは置いておいて、若者のように初めての米欧の文化にもみくちゃにされ、カルチャーショックを感じる様が興味深く、同時に自分自身の経験も懐かしく思い出した。大久保利通や木戸孝充なども無邪気な青年に思えて微笑ましい。
 ここで感じたことは、カルチャーショックと言う程技術文明の差は凄まじいのに、反面その驚きと賛嘆を表現する言語面における語彙や、表現力の日本語の何と卓越しているかということである。
木戸孝充や久米邦武初め彼らの書き残したものから、幾つか拾い上げても、曰く、
 「船ははや桟橋を離れ、たちまち四面に波浪の漂うを見て、初めて車は船中にあるを知り、愕然四顧する間もなくて、ニューヨークの渡頭に着船し、輪響ごうごうとして馬車をめぐりだす。たちまち海、たちまち陸、驚疑の間に変移す、制作の巧、快もまた極まる。」
 「ホテルに着してこの街に面せる室にいれば、時には万雷の至るごとく、時には大風の松林を吹くが如く、終日殷殷轔轔の声、耳に充ち語言を乱る、その繁華かくの如し」
 「水は穏やかに波浪をただよわせ、つなげる船は帆柱の林をなし、行く船は枯葉の浮かぶが如く、彼岸より煙を吐きて、此岸より笛を鳴らして出る船あり、この日は牢晴にて眺望もよく、ニューヨークの繁華は世に轟きたれば、常に十二分の想像にて思量したれども、なおも以外に出ること多し」
 「府中の豪商みな愉悦し、わが一行を迎え、数日を淹留せんことを請う。前途を急ぐをもってこれを辞す。よって直ちに車を命じ処処に誘引せり」

 事実としての単純な表記だけではなく、これに相当するニュアンスや、情緒的なものまで含めて表現できる、彼の国の言葉はあるのだろうか。たまたまこの時点での技術進歩の度合いは雲泥の差だったろうが、その差に驚き、またその本質を言い当てようとする原語表現力は日本が遼に勝っていたように思えてならない。

 さて、錚々たる明治の志士団と比肩するつもりも資格も毛頭ないし、熱意に燃えた鴻鵠とは比べるべくも無い燕雀の、ミーハー的な些細な驚きの数々を、何の飾りも工夫もない平板以下の言葉運びで、リストアップしてみた。
 全て20年以上前の話であるから、お間違いのないように。

 ジュネーブ編
○ CICGに於ける4年に1度の「国際金属エネルギー労協」の総会の家族ずれ、レセプションまでは理解できるが、ギリシャの偉いさんは12,3歳の女の子まで会議場につれて来ていた。
  その程度の会議だとの認識かも知れないが。



○ 組合専従の3年の年季開け、定期大会で次期活動方針提案のイントロ、我々を取巻く情勢として「テンガロンハットに2丁拳銃で待ち受けるレーガンの前に、東のヒーローゴルバチョフが立ちふさがった。今後の世界はこの2人の双肩に」とやったら(ホールは違うが、ドリフも良く使っていた日本青年会館だから、敬意を表して少しは面白くしなきゃ۵)途端に、CICGで2人が歴史的会見を行い「和平のための共同声明」を発表した。(CICG会議は前年8月、ゴルバチョフ登場は3月、定期大会は7月、CICGでの2人の会見は11月)
○ 国際会議では、スピーカーのジョークに笑うオーディエンスのゾーンが一定のタイムラグでどんどん移っていく。
  同時通訳がそれぞれ自分の得意な言語から翻訳するための、シリーズ通訳のタイムラグだそうである。
○ 知り合った日本人の通訳の女の子とホテルの朝食が一緒になり、彼女がコーヒーをセルフサービスして着席すると周りが皆こっちを注目している。 
  「どうしたんだろう?」「2人づれで女性にセルフサービスさせるなんて、何と不躾なおのこなのだろうと言う白眼視よ」
○ ラマダホテルのバーで「Dry martini,please」「With olive?」。一瞬聞き取れなかった。
  いろんな作り方があるのはものの本で知っているし、日本ではそれこそ何百回もオーダーしていたが、ついぞ訊かれた事はなかった。
○ 団体行動の時は常にバンチオブグースのしんがりだが、韓国電力労働者連合会長とその秘書と3人ずれでローザンヌに行った時は、彼らが英語が全く駄目なことで(筆者も殆ど同様だが)添乗員の真似事までさせられて、チケット自動販売機は先に金を入れる、電車は発車の合図も無くブレーキ開放のエアー音だけで走り出す等に驚いた。 
  またアメリカに帰化して、韓国語が全くのサムソンの会長の姪だという女の子とコンパートメントで一緒になり、1時間半通訳の真似事までさせられた。
○ 観光バスに乗ったままのフランスへの国境越え。
○ 夏服のまま、マッターホルンを眺望するシャモニーの山の頂上までケーブルカーで昇り、凍え死ぬかと思った。だって7月で麓は暑くて汗だくなんだよ。上の温度は表示してあったが、ケーブルカー待ちで、そんなに長く居なければならないなんて思わなかったもの。  
  ケーブルカーの乗車口には一杯落書きがあったね。日本語のも。

 上海・蘇州編
○ 入国を終え歓迎の人並みに相手が居ないのでとりあえずゲートをくぐり、トイレを済まして当人の後ろから肩をたたいたら、甚く怒られた。
 「カップルが駆け寄って抱擁する映画の再会シーンをやりたかったのに。」

Siken

○ 最初に覚えた言葉が「メイヨゥ」。どこの店屋でも返事はこればかり。ビールはコップに注いで日向に置いてあったような奴。
  ガーデンブリッジ近くの大ホテルのレストランなどでもワインは冷えてなかった。
○ 水田の上を滑空して着陸したのに、ライスは酷かった。ボロボロで箸でつかめないんだもの。
○ 和平飯店で持参のドライヤー間違って100ボルトのまま突っ込んだら、ドライヤーはなんとも無く向こうの糸ヒューズが飛んだ。
○ 和平飯店からの東浦の眺望は、スラム街の上に近代的タワーが一つだけそびえ立っていた。東浦開発の幕開けである。

 コペンハーゲン編
○ レストランのトイレで小便は雨樋のようなところに垂れ流す、彼の国の男子達と並んで。
  それがずっと高いところに有るんだもん ۵
○ ハムレットの舞台クロンボーグ城の方まで、夏のバケーションに向かう車の列がずっと続いて渋滞していた。
  クロンボーグ城では地下の洞窟に鉄格子を組んだだけ、潮の干満で海水が浸入してくる牢獄にも入った。



○ コペンハーゲン駅の近くでは、真昼間店頭でファックビデオの大画面の局所大写しに圧倒されていたら、「お前のはベーターかVHSか」と訊かれた。「どっちのを買う気?」

 ハワイ編
○ immigrationが大分進んで係官と目線が合ったら、顎をしゃくって先に行ってよしと言うように合図をしたように見えたのでスタスタ歩いていったら、ポリスが2人追いかけてきて、別室にご案内された。
 白のスーツと白いエナメルの靴、サングラスにアタッシュケースといういでたちで、ちょっと観光客には見えない。また岡本某など同年代の日本赤軍派の手配書も廻っていたころで、靴下まで脱がされて調べられた。
 外で友達が待っているので早くしてくれ「ハッバ、ハッバ」【コンバット・仮面のドイツ兵、ジェームズ・コバーン】と言うが「don't mind. don't mind.」
○ ダイアモンドヘッドの中へ行こうと、ホテル前のタクシーらしい止め方のに、それでも気を利かせたつもりで「誰かを待っているのか?」
  「お前を待っていた」もう乗ってやるよりしょうがない。日本ではそれこそ何千回タクシーに乗っている(飲酒運転確実だから、免許が無い)が、こんな会話は1度も無い。
   最も面白そうなのが、梅田駅から出来たばかりの「梅田スカイビル」に行こうとして、空を指差して「あそこに行って」
  「この界隈でタクシーをやっているが、そんな頼まれ方は初めてです」
○ 客室の上が吹っ飛んで、人身事故のあったアロハ航空の旅客機に、事故の1.5ヵ月後に乗った。
  搭乗待ちの客の行列にジェット排気流を浴びせながらタクシーイングして行く。黒人整備士も頼り無さげ。「席は何処でも開いているところに着席ください」۵
○ ハワイ島のホテルで朝食に食堂に行ったらレジの所にいた女支配人が「good morning Mr.sasayan」。夕べちょっと話しただけなのに、その記憶力に驚くと同時にまた海外のこんなシチュエーションで名前を呼ばれる気持ちよさ初めて知った。
  みんな「何で知ってるの?」「何時話したの?」
○ ワイキキのサンセットクルージングで、ハワイのワインはあるかと訊いたらあると言うので1本出して貰った。ブドウは何処で採れるのかと思っていたら、ハワイ島観光で1人だけリモ貸し切りで廻った時、キラウエア火山の中腹に畑があるということだった。
  運転手にハワイ島で一番のステーキ屋は何処かと問うて、草履のような代物を食べる羽目に陥った。
○ 全く日本語が話せない日系何世と言うのも面食らってしまう。全く同じ顔なんだけど。

 パリ編
○ コンコルド・ラファイエットに入ると、ロビーには素人目にもそれらしい女の子達が其処此処に。それだけでなく、客室のあるフロアーにも屯していて、エレベーターを降りると「アソビマショ」と声かけられた。ヤッパリ日本人だと判るのね。
○ メトロのドアーが手動開放型だった。
○ コンコルド広場を含め、信号待ちの人なんか居ない。行き交う車の間をどんどん渡ってしまう。みんな度胸がある。
○ プロ-ニュの森のレストラン、プレカトランメインテラスの貸切では、若い頃のアランドロン(ご存知 plein soleil 主演)張りのギャルソンが何人もいて、アペリティフのカクテルや、食事中チーズのサービスをしてくれた。女の子が行ったらしびれる事請け合い。(デジェスティフの時は酩酊していて覚えてない)
 佐賀の華族鍋島家から皇族に嫁いだ梨本宮伊都子妃も来たらしく、当時その美貌がパリでも話題になったそうな。
 プレ・カトランはその後2つ星に落ちていたが、去年3星に昇格していた。
○ ドゴール空港のイミグレーション、黒人係官ばかりが目に付く。何処の国だここは。

 ミラノ、ベニス編
○ ガリレオだったかミケランジェロだったか、ホテルのロビーで休んでいると「ナナサンイチ!、ナナサンイチ!」と大声が響き渡る。日本語に聞こえるが我々しか居ない筈だ、空耳かとも思いながら見ると、クロークでまごう事なき日本の老女達が部屋のキーをよこせとテーブルを叩かんばかりにして叫んでいる。
  自分だってイタリア語の数字なんか殆ど言えなくてイライラするが、「こんな所まで?」と、往時のノーキョーの底力に驚いた。
○ サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会で最後の晩餐を見たが、修復前の物でとても昨今のダビンチ・コードのような聖杯の疑問を誘発するほどの色彩は無かった。
  協会の前で、バスの窓越しに、絵葉書を持った青年たちから「カッテナオネガイ、カッテナオネガイ」と声かけられた。
  「勝手なお願いって何だ?」「買ってね、お願いだろう」
○ ミラノからベニスに向かう途中の小川の水面に映る景色の綺麗なこと。
○ ルナ・ホテルでテレビを付けたら、アルプスのハイジをやっている。なんだこっちの番組のパクリだったのかと思ったが、その後のロボットアニメでもアフレコの前後に日本語の消え残りがちゃんと残っている。
  日本のアニメコンテンツのバーゲニングパワーに驚いたが、アフレコの消え残りも如何にもイタリアらしくて面白い。
○ サンマルコ広場の奥のベニチュアングラスの店で、店員がテーブルにグラスを思いっきり叩きつけた音で飛び上がった。よそ見してたから。
  衝撃に強いというデモンストレーションである。
○ 月夜のゴンドラで歌うたいがサンタルチアを歌いだしたので、音楽の時間に覚えた原語で肩を組んで歌ってしまった。アコーデオン付きで。
  ベニス民謡は余りポピュラーじゃないからしょうがないんだって。
○ ルナホテルの隣のキャナル側のレストラン、スパゲティの美味いの何の、「タント、タント」と3杯お代わりをしたら、メインディッシュが入らない。
  数年前、娘がベニスに行って「美味いもの何にも無かった」って。「そんな馬鹿な、どこへ泊ったの?本土側?そりゃ知らん」
○ 水中に立つ、船舶用ゴーストップ信号。

 ロンドン編
○ トランジットで空港に降りただけ。コンコルドの離陸に遭遇したが、そんなにウルサイとは思わなかった。

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