労組本部専従
昔労組本部の専従を3年ばかしやったことがある。
労組委員長より本部常任をやらないかという勧誘が来るようになった。
確かに、生まれ落ちた時からプロのプロレターリだし、ユニオンショップ労使関係の一社員の責務かとも思って分会でも書記長まで勤めたが基本はノンポリ、どちらかというと右寄り、ラグビーでもライトウイングしかやらせてもらえなかった。とても本部の器じゃないと断り続けた。
MITI胆の仕事も脂が載ってきて面白い。
しかし、しぶとさは向こうが上、とうとう根負けして、後から考えるとそれ程は期待されてなかったようだが「どうせやるなら専従だよ」と引き受けてしまった。
(筆者の誕生日は5月1日である。誕生日には全国津々浦々の集会や、デモ行進で労働者の皆さんに祝ってもらえる幸せ身分。その恩返しの意味もあった。生まれた時からのセットアップ♪)
次期本部としての定期大会で、北方の代議員達が「何とか越冬手当を上げてくれ、冬が越せない」とタグを組んで、入れ替わり立ち代り訴えている。
本部の回答は「今年は定年延長という大きな取り組み課題があり、とても越冬手当まで手が廻らない」
北の代議員達「そんな回答じゃ分会に帰れない」
たしか総入れ替えとなる本部は、次期本部によけいな課題を残したくないと思うのか絶対に「やります」という言質を取らせない。
賃金対策部長だと言われていたので、やってやればいいじゃないと思いながら議論を聞いていた。
早速本部常任委員会では「越冬手当をやりたい、定年延長があるので書記局には面倒かけない。一人でやるから、任せて欲しい」といったら、いやな顔をしていた常任も居たが一任を取り付けた。
労務の担当に時間を割いてもらい、灯油の価格推移などを解きながら「たまに会社側から提案するのも、労務も仕事しているなと、かっこいいんじゃないの」などと訳のわからない攻め方をする。
相手も当然事態の深刻さは認識していて、早晩このままじゃ済まない事は解っている。
やがて、アップ率の議論になる。
自分としては初めての仕事でもあり派手に行きたいし、前回改定時からの灯油価格推移からも70%アップ位だとこだわる。
労務はさすが、世間の常識というものが、よーく解っていて、「そんな水準の手当て改定はあり得ない、30%が限度」
「そんなこと言ったって、今まで放っておいたのが悪いんじゃないか」
しばらく押し問答を繰り返していたが、その間にも灯油は上がる。「今に見ていろ、もうすぐリッター100円はいく、俺が請合ってやる」
むこうの言い値が50%アップ程度に上がったとき、朝テレビをつけたら、OPECの増産体制に調整の目処がついたとの報道。「今だ!」
出勤して労務に「今のレベルでいいから、直ぐ会社から提案して。組織には絶対文句出させないから」
落とし所の話はついたので、書記局に渡す。
例によって、会社から最初は低めの提案、組合は「灯油価格情勢をふまえ会社から提案してきた事は評価に値するが、レベルが低い。一層の上積みを図る」などと、小刻みに組織の意見集約を図ったりしている。
そんなことやってる場合じゃないって。イライラする。やっと平均50%何がしアップで妥結したら、灯油が下がり始めた。絶妙のタイミング、しばらくは「Sasayan に騙された」
もう一つ。
時代はちょうど労働界が統一再編成の動きの真っ最中。 (労働界の統一で力を集結しよう→同盟・総評など4ナショナルセンターベースでは統一が進まない→政策提言の部分でまずは協力→政策推進労組会議→全民労協→民間連合→連合)
一方国際金属エネルギー労協の総会と言うのが4年に1度 Centre International Conférences de Genève (CICG) で開催される。
我が労組の委員長はかつて政策推進労組会議の仕事をしていたこともあり、殆ど外回りの仕事が多く、自民・民社などの若手議員などとも交流しているようだが、本部にはあまり帰ってこない。
従ってよく代行を仰せつかっていて、この時も副委員長のお前が代わりに行けということになった。
*** ローザンヌの交通お巡りさん ***
国際金属エネルギー労協の総会も終わり、韓国電力労働者連合会長とその秘書室長そして筆者と3人でジュネーブからローザンヌ観光に出かけたことがある。
以前から韓国は日本に追いつけ・追い越せで、産業の根幹をなす電力に労働争議などあっては困るとのことで、その総元締めである電力労働者連合会長は大変なステータス。
噂では政府差しまわしのロールスロイスで毎日ご出勤だとか、秘書室長がついているのもむべなるかな。要するにVIPなのである。
6人掛けコンパートメントで、それぞれの部屋には既に何人かの先客がいるが、碧眼の人たちは見飽きたので、2、3室のぞいてパスしたら東洋系の女の子が2人いた。空いているか聞いて、入ってすわる許可をもらう。
少しずつコミュニケーションを始めると2人ともアメリカから観光に来たという。見た目じゃ判らない。
片言で当り障りの無い話をしていたら、ところで他の2人も日本人かと聞く。
韓国だというと、「それは奇遇、自分たちももとは韓国人だが米国に帰化した」とのこと。
米国生活が長いので韓国語はまったく話せない。一方同行2人は英語が全く話せない。
不思議なことに、互いに挨拶程度の会話もしない。「How do you do.」「アニョンハセヨ」位、素養があろうが無かろうが、誰でも言えるでしょう。
韓国人同士でいろいろ会話はあるだろうが、直接のコミュニケーションが成立しない。
わざわざ東洋系の女の子の部屋を選んだのに、1時間半通訳の真似事をさせられるはめに。
「あなた達サムソン知ってる?」恥ずかしながら自分は知らない。
「サムソンを知ってるかきいてるけど」
「勿論」
「サムソンの president は My uncle なの」
俄然話のピッチがはね上がる。
こちらもVIPだということを判らせたいんだろう、ちょっとセンテンスを考え込んだりしていると「早く訳して」。
写真を取り、電話番号の交換、住所の交換。今まで対等に接していたのが、一挙にVIP間の通訳の立場になってしまった。
年も違うし、しょうがないか、向こうは多分60代と50代、こちらは30代半ば。
韓国の女の子達とはローザンヌ駅で別れたが、ローザンヌは店頭のチョコレートの飾り付けと、特級美人の交通お巡りさんしか記憶に無い。
結局何しに行ったんだろう。
やがて3年後の退任。最後の定期大会に於いて、来年度活動方針提案は副委員長、筆者の役目。
演壇で口上を始めたが、なかなか個々の具体的活動内容に入らない。
「テンガロンハットに2丁拳銃で待ち受けるレーガンの前に、東の新しいヒーロー、ゴルバチョフが現れました、今後の世界情勢はこの2人の肩に・・・」などと (神聖な組合の定期大会、落語講演会じゃないのは十分承知だが、何故か口が自然に・・・) 持ち時間の半分ぐらい『我々を取巻く周囲の情勢』というのをやって、後の半分で具体的活動方針内容にチョッチョッとふれておしまい。
大会議長団、前半どうなる事かとヒヤヒヤしたそうな、とにかく時間内で終わってくれてホッとした。
まさにそのその4ヶ月後、1985年11月レーガン・ゴルバチョフがCICGで歴史的会見を行い「和平のための共同声明」を発表するのである。そして事態は東西冷戦の終結、ソ連崩壊へと展開していくのである。
テンガロンハットに2丁拳銃のくだりは今思い出したが、これも某社労誌にこのせりふ通り載っているはず。速記者がちゃんと仕事をしていて、「こんなの定期大会議事録に相応しくない」と誰かの朱筆が入ってなければ。
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